テオドシウス大帝(在位379~395)
現在テオドシウス大帝の名は、キリスト教をローマ国教とした皇帝として広く知られています。
確かに彼は真摯な正統派キリスト教徒であり、380年にはキリスト教を国教とする勅令を発しています。
けれども、キリスト教徒であると同時にローマ皇帝でもあった彼にとっては、帝国あってのキリスト教であり、帝権と帝国の護持が最優先事でした。
そのためテオドシウスは、帝権に対して教会権の優位を主張するミラノ司教アンブロシウスと何度か衝突しました。
その顕著な例が390年のテッサロニカ事件です。
この年テッサロニカ(ギリシア北部の町)でゴート人の守備隊長が、戦車競技の駅者を釈放せよという民衆の要求をはねつけたことから、彼らの反ゲルマン感情を刺激し、殺害されるという事件がおこりました。
この報に激怒したテオドシウスは市民たちの殺戮を命じます。
しかし直ちに後悔した帝はその命令を取り消しましたが、時既に遅く、競技場に集まっていた7千人もの市民が虐殺されたあとでした。
アンブロシウスはテォドシウスの有罪を宣し、皇帝が折れて教会で公式に過ちを告白し俄悔を表明するまで、聖体拝受を許しませんでした。
これ以後テオドシウスの宗教は以前にまして厳格なものとなり、392年にはすべての異教崇拝さえ禁じられました。
古代世界の黄昏の中にあって、1077年グレゴリウス7世とハインリヒ4世のカノッサ事件をほうふつとさせるこの事件は、中世カトリック世界の到来を暗示するものでした。
現在テオドシウス大帝の名は、キリスト教をローマ国教とした皇帝として広く知られています。
確かに彼は真摯な正統派キリスト教徒であり、380年にはキリスト教を国教とする勅令を発しています。
けれども、キリスト教徒であると同時にローマ皇帝でもあった彼にとっては、帝国あってのキリスト教であり、帝権と帝国の護持が最優先事でした。
そのためテオドシウスは、帝権に対して教会権の優位を主張するミラノ司教アンブロシウスと何度か衝突しました。
その顕著な例が390年のテッサロニカ事件です。
この年テッサロニカ(ギリシア北部の町)でゴート人の守備隊長が、戦車競技の駅者を釈放せよという民衆の要求をはねつけたことから、彼らの反ゲルマン感情を刺激し、殺害されるという事件がおこりました。
この報に激怒したテオドシウスは市民たちの殺戮を命じます。
しかし直ちに後悔した帝はその命令を取り消しましたが、時既に遅く、競技場に集まっていた7千人もの市民が虐殺されたあとでした。
アンブロシウスはテォドシウスの有罪を宣し、皇帝が折れて教会で公式に過ちを告白し俄悔を表明するまで、聖体拝受を許しませんでした。
これ以後テオドシウスの宗教は以前にまして厳格なものとなり、392年にはすべての異教崇拝さえ禁じられました。
古代世界の黄昏の中にあって、1077年グレゴリウス7世とハインリヒ4世のカノッサ事件をほうふつとさせるこの事件は、中世カトリック世界の到来を暗示するものでした。